調査履歴

“2016年 再出発” 編 (12)



戦前の記録地を訪ねて Prologue
     
茨城県で初めて ヨコヤマヒゲナガカミキリ Dolichoprosopusyokoyamai (GRESSITT, 1937) が採集されたのは
第二次世界大戦以前のことである。 採集年は不明だが,日置(1977)によれば,日置正義氏が石岡市の山中で
1頭を得た記憶を回想し,「9月の頃で,食樹はブナではないか」と推測している。

日置氏は,戦前から戦後間もない激動の時代にありながら,精力的に103種もの茨城県産カミキリムシを記録し
続け( 日置,1938a;1938b;1950a;1950b;1952),今日までの様々な調査・研究の礎(いしずえ)を築いた。

その後,昭和から平成への過渡期には,210種のカミキリムシが水戸昆虫研究会の会誌に収録され(沼田,1989),
ヨコヤマヒゲナガカミキリの産地は4 ヵ所に達している。

現在,茨城県のカミキリムシ相を調査する筆者は,このような背景を受けとめ,各種の新たな産地の把握に努める
傍ら,既出の記録地を見直すべく,いにしえの足跡に思いを馳せ,辿り続けてきた。

..
 
.. 2007年1月2日

筆者は,由緒ある神社の参拝を兼ねて,
戦前に ヨコヤマヒゲナガカミキリが初採集
されていたという山の頂を目指した。

尾根筋を伝う登山道は険しく,山岳信仰の
修行を目的とする禅定道を兼ねていた。
その周囲には寄主となるブナが確かに散見
されたが,若木が多く,貫禄ある老木は
ほとんど見当たらなかった。
それよりも,スギ,ヒノキの大木や,アカガシ
を主とした常緑樹,苔むした巨岩ばかりが
目立ち,冬季とはいえ,ヨコヤマヒゲナガの
存在感をイメージできぬままだった。
つまりこの段階では,かつてより随分縮小した
であろう自然林の表層部しか見えてなかった
のである。

写真:
神社の参拝を兼ねて,弟と尾根筋周辺の
森林を下見した (2007年1月2日撮影)
 
2014年1月6日

茨城県内各地でヨコヤマヒゲナガの新たな
産地を見出した経験を踏まえ,改めて件の
禅定道を訪れた。
たとえ難題であろうとも,この地における
本種の「健在ぶり」を確かめてみたかった
からだ。


写真:
7年ぶりに現地を訪問. 斜面には植林のほか
アカガシを主とする常緑樹林が目立った
(2014年1月6日撮影)
  
この日は,人目が届かぬ斜面を徹底的に
徘徊した。

その結果,残された森林内で,樹齢を
重ねたブナの数々や,少ないながら本種の
ものらしき羽化脱出孔を発見し,
「まだ生き永らえている」 ことを悟ることが
できた。


写真:

急斜面のシデ類の中には,樹齢を重ねた
ブナも散在した(2014年1月6日撮影)
 
凄いなぁ…。
少なくとも今から80年もの昔には,鉄道や
自動車などの交通手段はおろか,道路すら
満足に存在しないだろう。にもかかわらず,
これほど険しい山中に赴き ヨコヤマヒゲナガ
を採集していたなんて。

それを思うと,現在の生息事実を確認し,
埋もれてしまいそうな歴史的出発点の一端を
後世に語り継ぎたくなった。


写真:
太いブナの根元では,ヨコヤマヒゲナガの
ものらしき羽化脱出孔を確認した
(2014年1月6日撮影)
 
晩夏が近づくと,ヨコヤマヒゲナガカミキリは
活動期を迎える。
禅定道は宗教登山の色彩が濃くなり,
白衣にわらじを履き,杖を持った修行者が
歩き始める。
月明かりの下で耳を澄ませば,静穏な山中に
力強い太鼓の音がこだまする。

2014年以降,筆者は神社の宮司さんから
許可をもらい,相変わらず禅定の邪魔に
ならない急斜面に身を潜めながら
ヨコヤマヒゲナガの息づかいを探り続けた。
しかし,新たな羽化脱出孔や産卵痕すら
見つけることができなかった。

2015年以降は,夜間のライトFITを3度
試みたが,発生木も分からぬままで的を
絞れず,いずれも失敗に終わっている。

写真:
雨天. 神社の傍で 日没を待つ
(2016年8月7日撮影)


16.08.11-
(Sat)  Mt 戦前の記録地を訪ねて(5)
 
  
..

2016年8月11日は “山の日” である。
現地への訪問回数を重ねるにつれ,
気負いなどは一切なくなってしまったが,
この日ばかりは

 
ひょっとして 山の神様が
 微笑んでくれるかな?


などと淡い期待を抱いてしまった。
 




すると,どうだろう。
午後4時16分,午前中から続いていた
単調な心境を,一瞬にして高ぶらせる
出来事が起こったのである。
     
ついに,この山でヨコヤマヒゲナガと
出逢えたのだ。 嬉しさと同時に

あぁ,よくぞいてくれた というような
安堵の気持ちが込み上げてきた。

根際に潜んでいたのは,セオリー
どおり♀だった。
堂々とした野性味溢れるたたずまいが
何とも頼もしく 暫らくは撮影を楽しんだ。
    



その後,腰を下ろして周囲を見つめ,
遙か遠い時代の情景を想像しながら
現場の余韻に浸った。

しかし,この日はこれだけで終わらな
かった。

午後5時40分。

帰路に就こうとする直前に,更なる
1頭と出逢えたのである。

これまでの道のりがまるで嘘のように
感じられるほどの偶然だった。
   


しかも,再び根際に潜っていたのは♂
だった。不自然なことではなかろうが,
筆者自身,このような状況下で♂を
見つけたことはない。

右中脚を失っていたが,この時ばかりは,
とても興奮した。

   

 
Epilogue
  
.. 林野庁の統計(2015年)によると,茨城県の
自然林の面積は,12%未満と極めて乏しい。
甲虫相の豊かさは,やはりこれに比例して
しまうものであろうか。

しかしながら,調査・研究の成果は長い年月
をかけて着実に集積されており,一昨年には
3000種の甲虫が記録され(大桃ら,2014),
まだまだそれに留まることはなさそうだ。

昆虫や自然との向き合い方は様々だが,
それらを通して,故郷の古き良き時代を偲ぶ
ことも また趣があってよい。


写真:
石祠,石碑,石標,石燈籠,石仏など,
尾根筋の周辺には,至るところに
石造物がみられる.
(2016年8月24日撮影)
  
..

ここで改めて,戦前に初採集されていた
ヨコヤマヒゲナガカミキリの産地と生息事実を
僭越ながら茨城県産カミキリムシの探究史と
共に記しておきたい。

末筆ながら,多くの資料を先駆的にまとめられ
茨城県産カミキリムシ調査の土台を築かれた
諸先生方に敬意を表するとともに,山中での
調査を快く承諾してくださった 神社の宮司を
務める鈴木史彦氏に,厚く御礼を申し上げる。



写真:
神社の境内から 紅葉を見上げる(上)
お世話になった宮司さん(左)と筆者
(2016年11月20日撮影)
  


●標本写真
 
ヨコヤマヒゲナガカミキリ
Dolichoprosopus yokoyamai (GRESSITT, 1937)
  


●参考・引用文献

日置正義, 1938a. 茨城の甲虫類. 茨城博物同好会誌 (10):7-11.
―, 1938b. 茨城の甲虫類 第2 報. 茨城博物同好会誌(11): 17.
―, 1950a. 茨城県産特殊天牛拾ひ書. 自然界 (1): 2-4.
―, 1950b. 茨城県産特殊天牛拾ひ書. 自然界 (2): 1-2.
―, 1952. 茨城の天牛蟲科に就いて. 茨城博物同好会誌 (13): 11-19.
―, 1973. 茨城のカミキリムシ. 瑠璃星 (1): 6-9.
―, 1977. むかしの野帖より(7). るりぼし (10): 91.

久保田正秀, 1973. 茨城県産カミキリについて. 瑠璃星(1-2): 1-7.
―, 1977. 茨城県産カミキリムシ科目録(1). 瑠璃星(5-I): 16-34.
―, 1980. 鞘翅目カミキリムシ科:茨城県のカミキリムシ. おけら (50): 285-293.
久保田正秀・渡辺真樹夫, 1973a. 茨城のカミキリについて. 瑠璃星 (1): 27-30.

西山 明, 1986. ヨコヤマヒゲナガカミキリ茨城県の記録.月刊むし (182): 36.

沼田 稔, 1989. 茨城県のカミキリムシ. るりぼし(13).2-73.

大桃定洋・高野 勉, 2014. 茨城県産甲虫リスト補遺(4).るりぼし (43): 2-36.


 
 本報告は 月刊むし2017 1月号 No.551 28-31に 掲載されました.