HOKOTAの縄文遺跡

K神台遺跡 まとめ

2015年 4月 2016年 1月


                                                                                                     

.. 2015年 4月 4日。

概ね 20年ぶりぐらいでしょうか。。
鉾農の東方にある 台地上を訪問しました。

航空写真を 再掲します。
 
便宜上... かつて示した 出土エリア A 〜 E も 改めて。
 
そしてここは エリア E。
西側から東に向って撮影しました。

今回は、左側斜面に現れた 縄文土器の
採掘経緯を 整理しておきます。

※エリアA〜Eの 地主さん 5名と 従業員さんには
きちんと 許可を頂きました。
  
その前に... 予備知識として
こんな概念図を つくってみました。

およそ 4500年前@縄文時代中期 の人々は
関東ローム層 ( 火山灰で形成された 赤土の粘土層 )を
基板にし、竪穴を掘り 柱を立て 住居生活していました。

その後 動植物が死に、およそ 4500年の歳月をかけて
有機質の黒土層が 形成されました。

現代人は、その黒土層の上で農作し 生活しています。
 
さてさて。。 話を戻し、現場の状況説明に入りましょう。

アスファルトの作業路を挟んで 左側の農地は
かつて 表度を削り...
それを 前方( 東側 ) の斜面下へ 少しずつ落とし
平らに整地しながら 利用されてきたと思われます。

故に、右側と 左側の農地では 地盤レベルに
かなりの高低差が生じている訳です。

で、今回 採掘対象としたのは
この 「 削り取られた 斜面 」 になるわけです。

1975年の航空写真を見たところ、当時から既に
この状況を呈していたようですから
少なくとも 40年間は、この斜面が 「手つかず」 だったと
推測されます。

因みに、オレンジのライン以下には
粘土層@関東ローム層が走っています。 つまり...
右側には 集落跡が眠っているということになります。
  
西側から 東側に向かって撮影。
  

 

■ 2015年 4月 6日


斜面中央
付近に
縄文時代中期 加曾利E式の土器片が
突き刺さるように 見えていました。
  


これがそれ。。 赤色系の土器片です。 慎重に掘り出しましたが
水分を含んで非常にもろく、割れてしまいました。
 
この発見をきっかけに...

@ 破片が ある程度大型
A 斜面が 手つかずの状況

などの理由から、この斜面中には 同じ土器の破片が
他にも沢山眠っているのではないか?と予感しました。

早速 掘ってみると、案の定。。
 
大型の破片が、粘土層と 黒土層の 狭間から出始めました。
 
これなんかは かなり大きいです。

裏側には どんな紋様が施されているのでしょう?
 
既に ヒビが入ってますから
焦らずに 時間をかけて 周囲の土を取り除いていきました。
 
なんとか採り出しました。

割れが進んでしまいましたが
こんなにも美しい紋様が現われた瞬間は
ハッと させられました。
 
密実な粘土層ですから、土器の紋様跡が
くっきりと 残されました。
 


土器片を持ち帰り 接合すると、素晴らしい姿に!
 
さらに掘り進めたところ。。
なんと、より大きな 黒色系の土器片も出てきました。
 
少しずつ 周囲の土を取り除いていきます。
 
土器片が 大き過ぎて、なかなかはかどりません。
 
結局この日は、暗くなるまで作業を続けました。
それでも、赤色系、黒色系 2種類の土器片を
概ね 回収できました。
 

 

■ 2015年 4月 7日


翌朝、
採りこぼした土器片の回収に向かいました。
 
前日に掘った穴の やや左側を掘り
黒色系の 大型土器片を追加することができました。
 
自宅へ持ち帰り、丁寧な洗浄 → 乾燥 を経ているところです。

上のグループが、初めに出てきた赤色系の土器
下のグループが、次に出てきた黒色系の大型土器
となります。

いずれも 南関東地方独特の 加曾利E式です。
 

 

■ 2015年 4月 11日


採りこぼした土器片の回収を続けました。

 
この日は、前回@6〜7 日よりも やや右側を掘りました。
 
少し掘ると... 出てきました!
 
が、別な種類の土器のようです。
とはいえ、そこそこ大きな破片ですので 貴重です。
慎重に掘り出しました。 底の方ですね。。


  
そして、その土器の下側からは...
おお!赤色系の破片が現われました。
おそらく 修復中の土器の一部でしょう。
 
金属棒を使って、パカ!っと。。
今回は、運良く 割らずに取り出せました。
 


洗浄、乾燥後の写真です。
 
右の方に、まだあります。
 
口縁部の わん曲具合や 厚み、色相いなどから
別なタイプと判断されます。
 
ジャン。 こんな模様の土器でした。


 

 

■ 2015年 4月 25日


相変わらず 採りこぼした土器片の回収に。。
少しでも可能性がある限り 続けました。
 
今回は どのあたりを掘ろうか?
などと思案しながら 斜面下の地面を見ると...
お!石鏃@やじり を見つけることができました。
嬉しいです。
 
で、前回よりも 更に右寄りを掘り込むと。。
 
なんと!斜面中からも 石鏃が。。

表採以外で 石鏃を見つけたのは
これが初めてです。
 
しかし、残念ながら土器片は出ませんでした。
 
気を取り直し、これまでより やや左側を掘りました。
  
すると、 出ましたね。。
明らかに 修復中である 黒色系土器の破片です。
 
紋様を見れば、一目瞭然です。
これ一片だけでしたが、それが どれだけ重要なことか。。
 
また 一歩前進できました。
 
帰宅する途中、地主さんのお住まいへ
日頃の御礼を言いに 立ち寄ったのですが。。

あろうことか、採れたての イチゴ を頂いちゃいました。。

甘えてばかりで 恐れ入ります。

どうも ありがとうございました!
 

 

■ 2015年 5月 9日


懲りずに 採りこぼした土器片の回収です。
 
ほとんど 出てこなくなったので
これまで掘った場所を、改めて掘り直してみました。

しかし、やはり無駄な努力だったようです。

やむをえず、作業路際の 壊れた縁石をどかし
その下を掘ることにしました。
 
出るには出ましたが
修復中の土器とは無縁のものばかり。。



 
深いところから、底面が。。
 
このような感じです。
これはこれで良いものですけどね。。

もはや、取り尽くした感もあります。


 
気がつけば 大分掘りました。
 

■ 2015年 5月 10日

翌日には、更に右を。。
追加はなしです。

もう やるだけのことはやったかな??

そう思い、これ以降は 別な斜面の採掘 ( → こちら ) と
ムシの調査の再開へ シフトすることにしました。
  

 

■ 2016年 1月 20日

年が明け、約半年ぶりに
この斜面を掘ることにしました。
 
昨年掘っていた場所から、1mも左側を調べてみました。
 
掘り進めていくと、関東ローム粘土層付近から
やや大型の土器片が見えてきました。
 
周囲の粘土と一体化しており
非常に もろいです。

既に ヒビが入ってます。
 
出土状況です。
明らかに 粘土地盤上面より 下側から出ました。
 
これ... 修復中である 赤色系土器の一部だと思われます。
 


大分時間をかけたのですが、残念ながら割れてしまいました。
やはり 赤色系の土器片でした。
部分は 4月に採取した一片で これに繋がりました。
 
取り除いた跡。

周囲も掘りましたが、これ以上の追加はありませんでした。
 
帰り際、別斜面を眺めていると。。
 


磨製の石斧が見つかりました。
一見 なんてことのない石コロのようですが
刃になる部分は、しっかりと砥いであり 鋭いです。
 
 
 
■収集物 1

 赤色系の土器@加曾利E式
 
2016年 1月20日に 掘り出した この土器片は
かなり重要なパーツとなりました。
 
 


右側には、2015年 4月6日に掘り出した 小片が繋がり。。

 
 
 
また左側にも、大きな破片が繋がりました。


 

 
左側と中ほどは、 2015年 4月 6日 初日に...
右側は 2015年 4月11日に掘り出したものです。

 
 


右側 2つを繋げた状況。
 
 


左側 2つを繋げた状況。

口縁部が沢山揃いましたが
残念ながら 360度 一周はしません。
320度分ぐらいでしょうか。。

それでも こんなに大型で 素晴らしい土器が
採掘できるなんて...
素人には 考えられないぐらいの経験でした。

つづく。。

 



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