HOKOTAの縄文遺跡

Y十北遺跡 〜 I I 田遺跡(Asahi)

2016年 4月 3日


                                                                                                     

.. お昼前から インター付近にある
KITAHARA 遺跡の見学に出掛けました。

その前に... 付近の谷津が 湿原だったので
忘れないように一枚。
 
いや〜 とっても広し!

実際は、写真に写っている範囲の
4〜5倍は広いのですが

土器片などは 全く落ちておらず
表採は できませんでした。
 

 

■ Y十北遺跡

つづいて。。 発掘調査終了後 何度も通った
大規模な縄文集落跡地へやってきました。

高速道路の建設工事が 本格的に始まったらしく
入口は、この通りでした。

でも... ちゃっかり入っちゃうんだな、これが。。
  
いったん埋め戻された 竪穴住居群は
完全に 取り除かれてしまいました。
 
しかし、こういったところは
改めてチェックしておくべきでしょう。
  
槍の先端に付ける、大型の 鏃 ( やじり ) を
拾うことができました。
  
凄い遺跡だったのにな。。

ほぼ完品の縄文式土器は、100点を越えたそうです。

しかし... 大量の出土遺物は 全て地元には 残らないという。。^ ^;;
  
農作業のお手伝いに来ている 東南アジアの方々
数名に 話をつけ、ビニルハウスの 周辺を
チェックさせてもらえることになりました。

ありがとうございます!
 
お陰をもちまして。。
 
極小ですが、完璧な 鏃 を見つけることができました!
 

 

■ II田遺跡

その後、いつもの K神台遺跡方面を目指して
フラフラしていたところ。。
とある縄文遺跡に 辿り着いてしまいました!

後で 調べてみると、I I 田遺跡と呼ぶようです。
( 緑色の網掛けが遺跡の範囲になります。)

写真 北東側の道から 南下してきました。

Aに駐車して、B → C → D を チェックしました。
南下してきました。。
  
一度は H川の 上流付近 まで下って来ましたが
直前の台地上が、どうも 気になり Uターンしました。
 
A に駐車して、地面を見渡したところ。。

やっぱり!

小粒なものばかりでしたが
土器片が多数 ちらばっています。

しかも、縄文時代のものです。
 
もり ( 錘 ) だ!
 
A → B へ向かって歩いていくと、途中には 打製の石斧まで!

※これらは、農作業に邪魔なため
畑の片隅に寄せられていたものです。
 
B地点では 丹下さん似の 地主さんにお会いできたので
色々とお話を伺うことができました。

かつて この斜面からは、とてつもなく
土器が出てきたそうです。

随分昔には、消防署の方が 趣味で良く訪れていたようですよ。。
 
確かに。。 もはやバラバラですが
数十年前なら... と思わせるような様相を呈しています。

土器片の紋様から、縄文中期 〜 後期の遺跡だと
思われます。
 
お!磨製石斧 の 一部分も落ちていました!
  
一回りして、駐車した A 付近を見直すと
火起こし用の、窪み石も落ちていました。
 
で。。 先程の地主さんに

“ 林の向こう側にある神社にも、寄せ集めてあるから行ってみな!”

というアドバイスを頂き、ワクワクしながら C 地点へやってきました。

はい、こんなところです。
 
確かに。。
 
雑草を取り払うと。。 こんな感じ!
 
やった! やはり 石錘が多かったですが
ここでも 磨製石斧を見つけることができました。
  
どかーん!

巨大な石皿@完品です。 さすがに これは... ^ ^;;
 
更に 周辺の散策を続けると。。

お!?
 
ほお!
 
なんと!!
 
ふぅ〜!アドレナリンが出まくっちゃうような。。

こんなに派手な 取手が見つかりました。
 
ひゃあ 素晴らしい!
先程お会いした B地点の地主さん、ホントに感謝です!

その後、念のため D地点付近もチェックしましたが
何も落ちていませんでした。

しかし、一連の遺跡の範囲に含まれているようです。

この辺りには 沢山の遺跡が分布しているようなので
近日中に またやって来ようと思います。
 

 
でさ。。 帰って来ましたよ。。

あれっ!? あれっ??
 
どかーん!
 
左側の大きな取手と、真ん中にある 加曾利E式の破片
それから、右半分の石斧は全て I I 田遺跡。

左下の加曾利E式の破片と
槍に付ける大きな鏃、弓矢に用いる小さな鏃が Y十北遺跡。
 
今回は、これが圧巻だな。。
 



目次へ