腕立て伏せの歴史
総計14,614,400回、実施日数5,840日、1日平均2,502.47回
(2010.12.31現在まで)
“ 馬鹿も通り越せば天才になる ”
人があまりやらない事を一生懸命にやりたいと思った。
※腕立て伏せの歴史
●各年のレコード(記録回数)
※大会出場レポート
●マッスルエリート (2000.8.24 O.A)
●スポーツ進化論 (2001.3.03 O.A)
参照: クイックマッスル関連記録
参照: クイックマッスル関連動画
※このページは、現在TBSテレビ「スポーツマンNo.1決定戦」他で |
※番組ディレクターを務めておられる福浜和美様より許可を頂いた |
※上で作成しております。 |
※少々長くなりますが、私が現在まで腕立て伏せをこなしてきた経緯を綴ってみました…
〜 幼少時代 〜
喘息とアレルギー性鼻炎を兼ね備え病弱だった私は、あちこちの小児科・耳鼻科へ通う日々を過ごした。 また保育園では何をやってもビリだった。 運動会のかけっこではいつもビリ。外でみんなが
お遊技の練習をしている時間には、私だけ教室に残され 終わらない工作の完成を目指していた。 給食を食べるのも極端に遅く 毎度のように一人で食器を給食室へ返しに行った。
他にもビリが沢山ある…けれど これらは全て、その当時から私がマイペースだったことが原因だと言える。
身体が弱いことをコンプレックスには感じなかったが、みんなから「はな垂れ小僧」「のろま」などと呼ばれるのはちょっぴり辛かった… だから 親の迎えを待ちきれず、いつも屋外に設置された下駄箱の傍で 駐車場の方ばかりを見ていた。
小学校に入学しても ガリガリの私は病気がちで、通院生活は相変わらずだった。しかし4年生のころからか、運良く身長が伸び始めたので、クラスで一番速く走れるようになった。
茨城県の陸上競技大会にも出場できるようになり 走る事が大好きになった。 友達が沢山できて、最終的には 6年間を本当に楽しく締め括るできた。
〜 中学時代 〜
中学時代、団体競技があまり得意ではなかった代わりに、走る事が大好きだった私は、さほど泳げもしないくせに水泳部に入部した。 陸上部ではない。
しかし顧問は陸上上がりのS先生(中3時 担任していただいた恩師)だった。 入学してまもなく S先生は 「水泳部は、走ることも 泳ぐことも 両方できるぞ、水泳と陸上の精神は
本質的には一緒だからな」 と言って私を誘ってくれた。 個人競技は努力の分だけ結果が出る。ライバルは他人ではなく己に他ならない。 マイペース主義の私にはピッタリだった。 入部当初の私はしごかれていた。しかしいつの間にか しごきを欲していた。 4〜9月は 水温10〜26℃の屋外プールで、朝夕5〜7km泳いだ。 それ以外の月は、覚えていないぐらい猛烈に走って、方々の駅伝大会に出場させていただいた。
4月初旬は、冷水のプールを泳ぎ、身体が冷え切ったら 着替えてグラウンドを走った。 そして身体が温まったら、再びプールに戻って身体が冷えるまで泳ぎ続け…これを繰り返した。
週7日、休み無く3年間、例え血尿が出ようとも、仲間と一緒に がむしゃらに S先生について行った。 卒業時には モヤシのようだった細身の身体からも卒業していた。
〜 腕立て人生の始まり 〜
水泳を終えてからは、導いてくれる人がいなくなった。 身体を鍛えるのも 癒すのも 自分のペースになった。 1990年4月から私は腕立て伏せを始めた。何のために? カッコ良い身体をつくり 他人に誇示したいと思ったからではない。腕っぷしを強くして 誰かに勝ちたかったからでもない。 せっかく恩師に培って頂いた身体の衰えを受け入れたくはなかったし、将来長きに渡り身心と向かいあえる厳しいノルマが欲しかったのである。 それに、私は人があまりやらないことをしたかった。 他人に認められるより自分自身で納得したい。そんなポリシーを持って生きたかった。 だから、腕立て伏せを始めたことを他人に言う必要はなかった。
〜 一人暮らしの始まり 〜
1992年度4月、大学進学を機に 茨城県から千葉県へ移住し一人暮らしを始めた。腕立て伏せは年月を増す毎に、どんどんエスカレートしていった。 目標を立てて表を作り、グラフを作り、それを壁に貼って励みにした。 大会や試合など、目に見える目標は存在しなかったが…漠然と「パワー」ではなく、「回数」を求め続けていた。 考え方やスタンスは水泳時代と さほど変わりなく 「どれだけ速く長く泳げるか」を、「どれだけ速く沢山できるか」に置き換えただけ。訓練方法もインターバルトレーニングを取り入れ、水泳の
「●00M×n本」を、腕立て伏せ 「75回×nセット」 に変えただけだった。 自重トレーニングだから、筋肉量の増加は見込めない。 しかし負荷を増すような工夫は一切せず、只々回数だけを増やした。そんな入酸素運動を繰り返した結果、「筋持久力」だけが増えていくことになった。
〜 腕立て競技の出逢いと敗北、憧れ 〜
1996年、腕立て伏せを始めて数年が経ち、私はTBSの某テレビ番組内で企画された とある競技に出逢った。 素人参加型のその競技名は「クイックマッスル(3分間腕立て伏せ)」。 3分間で何回の腕立て伏せができるのか?シンプルな内容だったが、毎週番組の最後に必ず放映され、特番も組まれる程の人気があった。 日本全国に公認される腕立て伏せ競技の誕生に私は興奮せずにはいられなかった!
当時、その競技には不動のチャンピオン“Y高の微笑みサイボーグ”朝野公平さん(17歳)が君臨し、全国各地の厳しい予選から勝ち上がってきた多くの猛者達を、ほぼ毎回 250回以上という驚異の記録を更新しながら、退けていた ( → 映像1 映像2 )。 それ以前にも彼は「サバイバル腕立て伏せ(時間無制限)」という大会で1200回の記録をもって優勝しおり、腕立て伏せの王座の地位を確立していた。 彼を破ることができる男が果たして存在するのだろうか!? そんなナレーションを繰り返し聞いているうちに、いても立ってもいられなくなった私は 番組募集係宛の葉書を投函した。長らくの 自己満足がどれだけ通用するか試してみたい!という欲が生まれ、大会出場という大きな目標ができたのである。
応募者が多いためか、なかなか返信を得られなかったものの、諦めず 葉書の限られたスペースに、沢山の想いを綴り続けた。 ちょうど、これが最後のチャンスかと思われた関東ブロック予選にも参加できず傷心していた頃
、何と テレビ局から1本の電話がかかってきた。 ドキドキしながらお話を伺うと ファイナルとなる東京大会予選のオーディションに是非参加してほしい
とのこと。やった!ついに一歩前進できた!このときは 本当に本当に嬉しかった。
写真 : スタジオでルール説明(左)、センサーの高さ・手幅・手先から足先の幅を確認する私(右)
待ちに待った 1996年某日、私は相棒である弟を神奈川県から呼んで、意気揚々と オーディション会場である 赤坂のテレビ局へ向かった。
事前練習では240回ぐらいはできるように仕上げ、自信をもって臨んだ。
だがその自信は 一気に緊張感に変わった。会場入りして一番初めに驚いたことは、競争率が想像以上に高いことだった。 私が招かれたのは「オーディション第○日目、午前の部」のスタジオだった。
その部門だけでもかなりの人数が集まっていたのに、この日には夜のオーディションもあるらしい…。 しかも数日に及ぶオーディションの〇日目とのことである。
長年 自分だけを見つめてきただけに、こんなにも大勢のライバルがいること知った私は、初っぱなから、大きな不安を抱かざるを得なかった。
そしてすぐに 更なる心配がのしかかってきた。把握できていなかった競技ルールである。あらかじめ スタッフさんに電話をし顎付き台の高さ(ビデオテープ2本分)については確認が取れていたたものの、両手をつく幅が60cm以内に制限されることまでは想定外だったのである。 テレビの画面からおおよその見当はつけていたが、まさかこんなにも狭いとは思っていなかった。 腕の長さには個人差がある。
ルール上、1回毎にしっかり肘を伸ばさなければ回数がカウントされないので、この狭い手幅制限は腕が短いほど有利に働く。言い訳は良くないが、10代の頃 自由形(クロール泳法)を専門にし、腕が比較的に長く成長していたので、非常に窮屈な腕立て伏せを余儀なくされてしまった。 そんな訳で、私は思うように腕立てができず、審判による注意・警告も受けながら205回で予選落ちしてしまった…。 練習では240回を出していたのに… このとき私は、自分で作ったルール上の回数など、何の言い訳にもならないほど ちっぽけだったことに気づいた。
結局このブロックからは、わずか7名の選手が2次予選への切符を手に入れた。
帰りがけ、藤沢市からわざわざ応援に駆け付けてくれた弟が、ロッテリアの2階で落胆する私を励ましてくれた。「これでやめるなよ」…と。 やめる訳にはいかない。 そもそもの目的は、己に勝つために始めたことだから…。 ここで自分に負ける訳にはいかない。
その翌日から、私は
(1).手幅
(2).しっかりした肘の曲げ伸ばし
(3).センサーの高さ
を重視した腕立て伏せを直ぐに開始した。
勿論、番組から眼をそらさず、最後までクイックマッスルの行方を見届けた。このことは私にとってとても幸運だった。 集大成の舞台は「クイックマッスル全日本選手権(1996.09.07)」となったが、ここで衝撃的な出逢いが訪れたのである。前述の 「サバイバル腕立て伏せ」で、惜しくも朝野公平さんに破れて以来、打倒朝野さんに燃えていた“みちのくの血だるま将軍”伊藤忠夫さん(23歳)が再登場し、1DAYトーナメントの決勝戦において3分間で、300回を公式記録し、大会優勝を果たしたのである ( → クイックマッスル全日本選手権結果 現在サスケを唯一制覇した毛ガニの秋山和彦さんや、山田勝巳さんも出場)。 彼はセンサーに顔面を叩きすぎて鼻や口から多量の血を流していた…。 これを以て彼はクイックマッスルの全日本チャンピオンとなり、翌年の「マッスルレコード9ミニッツ(1997.12.27)」でも やはり血まみれになりながら682回を公式記録して優勝した…彼の腕立ては、信念は、余りにも熱すぎて激しすぎた。 圧倒された。 …それ以上の言葉は出てこない。 私の中で、目標となる憧れのヒーローが誕生した。
〜 チャンス!腕立て競技の再来 〜
2000年春、こりずに腕立て伏せを続けていた私に弟が吉報をくれた。 「腕立ての新競技がスタートしている!」 とのこと。 早速自分の目で深夜番組を確かめてみた。 話は本当だった! 競技名は「三色筋肉」という。 制限時間3分内で、「腹筋→背筋→腕立て」の順に、それぞれを各1分ずつ行い合計回数を競う。 また、「腹筋→背筋」、「背筋→腕立て」におけるステージ移動も 制限時間内で行わねばならないので、この競技にはペース配分の面白さがある。 つまり自分の得意種目に時間を目一杯割く事が総合記録を高めるためのコツとなるのだ…例えば、苦手な2種目目の背筋を1分間目一杯やってしまうと、ラストの腕立てのステージに登るまでに数秒を要してしまい、1分間フルに腕立てができなくなってしまうのである。
私は当然番組に葉書を書き始めた。 前回のクイックマッスルでの悔い、日頃の練習内容…様々な想いを込めて。 すると まもなくオーディション参加依頼の通知が届いたのである! 私は今回も意気揚々と某テレビ局のスタジオへ、弟と一緒に足を運んだ。
クイックマッスルの時と同様に、今回も参加者は大勢いるようだった。 しかし今回は 前回ほど不安な気持ちにはならなかった。 類似したオーディションを過去に一度経験済みであったことに加え、センサー対策・手幅・肘の曲げ伸ばしなど、細かいルールを把握しており、その対策も万全だったからだ。 このときもオーディションは午前、午後のブロックに別れていたようで私は午前の部となった。 私のブロックの参加者は外人も含めて40名ほど。 1次審査は各人1分間の、腹筋、腕立ての回数が記録され、その際にはフォームも厳しくチェックされた。
その後 1時間ほどの休憩が入り、2次審査(面接)を受けることができる10名の名前が呼ばれた。 幸運にも私は1番最初に名前を呼んでいただいた!
面接試験は別室で行われた。 私は面接官2名に、自分がやっている格闘技や、毎日のトレーニング内容、生徒や日頃から お世話になっている方々に元気な姿を見せたい…など様々な想いをコメントさせていただいた。
ある程度の手応えが感じられたせいか、4年前のオーディションと比べ 自信を持って会場を後にした。
後日、番組収録への参加依頼の電話が鳴った! オーディションの日からわずか1ヶ月ほど経ってからの出来事だったが、私には待ち遠しさから あまりにも長い日々に感じた。 ようやく舞台へ上がるための切符を手に入れることができたのだ…ここまで本当に長かった。 ホッと安心すると同時に 緊張感も増してきたので、翌日からのトレーニング内容を どんどんハードにしていった。 今回は腹筋や背筋の練習もある。
腕立て伏せについては1日1300回程を目安にした。
2000年7月1日(土)収録当日、早朝に軽く腕立て伏せをこなして家を出た。 テレビ局前に集合して、選手は皆バスに乗り込み富士急ハイランドまで移動した。 私が参加したオーディションのブロックから選抜されて来たのは、正道会館のK君と私の2名のみだった。 ここまで残れたことがとても信じられなかった…でもだからこそ一生に一度の大切なチャンスだ。「自分自身との本当の勝負」をするときが来た!
会場は富士急ハイランドの遊園地内に設置されていた。 私は幸運なことに この日20組の収録のうち、ラストから2番目、キックボクシングで言えばセミファイナルの試合を務めさせていただくことになった! 相手をしてくださったのは静岡出身、元旅芸人の袴田さんで、私よりも年上で紳士だし格好いい方だった。 また会場には弟が両親を誘って遙か茨城からやってきてくれていた…ありがたいことだ。 競技前には番組で使用される選手紹介の映像を撮影した。 …私の中で最高の舞台が整った。 あとは頑張るだけだ!
写真 : 富士急ハイランドにて、収録、ご指示、インタビューを受けさせていただきました!(…相棒撮影!)
さぁ競技開始! 腹筋・背筋・腕立てと全てにバランスがとれている袴田さんに背筋まではリードを許してしまったが、私は早めに背筋を切り上げて、何とか得意の腕立てで挽回することができた!
詳しい内訳は「腹筋49 + 背筋43 + 腕立て97 = 合計189回」、暫定的に歴代2位の記録を叩き出す事ができた!( → 映像 )。 しかし率直な感想は「私は力を出し切れてはいなかった…まだまだ行ける!」そんな気がした。 兎にも角にも、仕事を終え、家族にも喜んでいただいた。 素直に嬉しかった。 最終調整の段階では体重も落としていたので、心おきなく食事ができた。
また相手をしてくださった袴田さんには本当に感謝であった。
写真 : 腹筋49→背筋43→腕立て97、合計189回となりました。 競技中は相棒が常に檄を飛ばしてくれました。
写真 : 勝利者インタビューの後、袴田さんと握手を交わしました!
更に競技収録後日、私の大学での研究の様子、高校で授業をする風景、キックボクシングジムでのミット打ちや 自室でのトレーニング風景のほか壁に貼ってある「腕立て伏せの歴史」の表など、選手の「プロフィール紹介」に使っていただくく映像を、現在TBSのスポーツ番組の制作に携わっている福浜和美さんに数日に分けて撮っていただいた。 業務繁多なところ、本当にありがとうございました。 そして そのスケジュールを詳細に立てていただき 御丁寧にインフォメーションくださった、同じくTBSの若林真弓さん、常に私の生活リズムを尊重してくださったことを、大変感謝しております。 また、撮影の際にご協力いただいた千葉工業大学山本研究室、千葉県立茂原工業高校建設科、ファイティングスポーツクラブ大成塾の皆さん…本当にありがとうごいざいました!
〜 憧れる人を目指して 〜
その後、他の出場者によって新たな記録が誕生し、私の記録は2ランクダウンして、4/150位となった。 このことは私にとって強烈にショックだった。なぜなら、上位3人までが出場権利を認められる最終章「三色筋肉 決戦大会」なる舞台に、出場する事ができなくなってしまったからだ。 しかもその舞台には憧れのクイックマッスル王者:伊藤忠夫さんが上位3位陣の対戦相手として大将役で出場することが決まったからである。 2000年10月決戦大会放映当日、出場漏れした私は一人テレビの前で伊藤さんの233回という圧倒的な力を目の当たりにした。クイックマッスル全日本選手権・クイックマッスル9ミニッツ・三色筋肉決戦大会 の三冠王として、伊藤忠夫さんが腕立て伏せの真の王者となる雄姿を、静かに この目に焼き付けていた ( → 映像 )。 もはや順位の事などどうでも良かったが、この競技の終了に伴い、私の記録は6/150位で幕を閉じた。
…その後、腕立て伏せとは全く関係のない別な競技でスポーツ進化論という特番や、体育王国の予選などに出場させていただいたが、伊藤忠夫さんに出逢える日は訪れていない…しかし伊藤さんとは違い余力を残した自分の甘さに対する後悔の念と、いつかあの方に会えたらという夢を捨てきれず、私は腕立て伏せを続けている。 出勤前、毎朝5時に起きて3000回以上の腕立て伏せをノルマとし、両手ひらにつくった腕立てダコを小さな誇りに思い、毎日記録している「腕立て伏せの歴史」と、同じ大学に所属した友人のお母さん、今村つるさんがくださった「あなたは人を求めているのよ…」という大切な言葉を励みにしながら。
〜 これから 〜
千葉へ移り住んで、とうとう18年の月日が流れようとしています。 自己満足の「腕立て伏せの歴史」は、2008年12月31日現在、総計11,948,100回、実施日数5,111日、1日平均2,337.72回となりました。 これまでは自分の世界だけに封印してきましたが、番組で紹介して頂いたことをきっかけに、恥ずかしながら公開してみようと思いました。
数年前、私の家を訪れたプロボクサーである友人Tさんは、床についた汗の跡や、壁に貼っていた手書きによる数千日分の「75回×正正正正正正正正正正…5:40〜6:29」の記録を見て「病気ですよ」と笑ってました…(^-^; その言葉が妙に嬉しかった事を思い出します。 分かってくれる人もいてくれるんだな…素直にそう思えたんです。
人それぞれ幸せの形は沢山あります。 だから私は他人が信じている幸せに対して、口出しをしないことにしています(誰かに迷惑をかけるものではないなら)。 私は私なりの幸せの在り方を今後も追求していこうと思います。 番組で紹介されて以来、賛否両論沢山聞かせて頂いておりますが、それらは大変ありがたい私の財産です。 いつの日にか“馬鹿も通り越せば天才になる”…そんな生き様を実現できる事ができたら嬉しいです。そして自分に対してこんな使命感が持てる事を本当に幸せだと思っています。
腕立て関連競技の記録
※ 元来のクイックマッスルには、毎回肘を伸ばさないと失格 |
※ もしくはセンサーが止められる厳しいペナルティがありました。 |
※ また 例え肘を伸ばしていても、低いフォームを維持しながら |
※ 小刻みに回数を重ねる行為も NGでした。 |
回数や順位に関して、幾度か問い合わせを受けましたので |
分かる範囲で 掲載させて頂きます。 |
修正すべき点などがございましたら ご一報頂ければ幸いです。 |
■サバイバル腕立て伏せ 1995年放送 (太鼓の進行にあわせてカウント) サバイバル腕立て 朝野公平さん(1位1200回),増戸聡司さん(2位1055回),伊藤忠夫さん(3位1043回) |
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順位 | 氏名 | -回数- | 補足 | |||
1 | 朝野公平 さん | 1200 | ||||
2 | 増戸聡司 さん | 1055 | ||||
3 | 伊藤忠夫 さん | 1043 | ||||
■クイックマッスル チャンピオンシップ 1996年放送 (日本各地の大会@マッスルツアー96で No.1 に輝いた選手が王座挑戦権を得る。) クイックマッスルチャンピオンシップ 朝野公平さん(1位286回),伊藤忠夫さん(2位273回),加藤伸幸さん(3位264回) |
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順位 | 氏名 | 回数 | 補足 | |||
1 | 朝野公平 さん | 286 | 8回防衛 | |||
2 | 伊藤忠夫 さん | 273 | 岩手大会優勝道 第4回 王座 挑戦者 | |||
3 | 加藤伸幸 さん | 264 | 東京大会優勝道 第8回 王座 挑戦者 | |||
4 | 秋山和彦 さん | 258 | 北海道大会優勝 第6回 王座 挑戦者 | |||
5 | 山田勝己 さん | 249 | 大阪大会優勝道 第3回 王座 挑戦者 | |||
6 | 森 裕之 さん | 243 | 香川大会優勝道 第5回 王座 挑戦者 | |||
7 | 篠原雄太 さん | 234 | 静岡大会優勝道 第2回 王座 挑戦者 | |||
8 | 村山典久 さん | 227 | 石川大会優勝道 第7回 王座 挑戦者 | |||
9 | 山口 裕 さん | 174 | 愛知大会優勝道 第1回 王座 挑戦者 | |||
※ | 増戸聡司 さん | 229 | 岩手大会準優勝 | |||
■クイックマッスル全日本選手権 1996年9月7日放送 (総勢16名による1DAY トーナメント 優勝の条件は 4連勝。) クイックマッスル全日本選手権 伊藤忠夫さん(優勝300回),山田勝己さん(準優勝298回),秋山和彦さん(3位307回) |
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順位 | 氏名 | 回数 | 補足 | |||
優勝 | 伊藤忠夫 さん | 300 | トーナメント4回戦 記録 | |||
準優勝 | 山田勝己 さん | 298 | トーナメント3回戦 記録 | |||
3 | 秋山和彦 さん | 307 | トーナメント2回戦 記録 ※大会記録 | |||
4 | 朝野公平 さん | 296 | トーナメント2回戦 記録 | |||
5 | 二反田豊和 さん | 273 | トーナメント2回戦 記録 | |||
6 | 加藤伸幸さん | 267 | トーナメント2回戦 記録 | |||
7 | 山口 裕 さん- | 260 | トーナメント1回戦 記録 | |||
8 | 森 裕之 さん | 250 | トーナメント1回戦 記録 | |||
9 | 高田聖一 さん | 247 | トーナメント1回戦 記録 | |||
10 | 増戸聡司 さん | 240 | トーナメント1回戦 記録 | |||
11 | 篠原雄太 さん | 239 | トーナメント2回戦 記録 | |||
12 | 海老昭之 さん | 235 | ||||
13 | 村山典久 さん | 227 | ||||
14 | 上野裕之 さん | 216 | ||||
15 | 高木英雄 さん | 214 | ||||
16 | 早船博之 さん | 212 | ||||
17 | 泉川寛人 さん | 207 | ||||
18 | 飯島正志 さん | 206 | ||||
19 | 藤本 仁 さん | 198 | ||||
20 | 藤田 弾樹さん | 188 | ||||
※このランキング表は,増戸聡司さん(サバイバル腕立て伏せ全国2位) のご協力を賜り作成致しました。 ありがとうございます。 |
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■クイックマッスル9ミニッツ 1997年12月27日放送 ( 3分 3ラウンド制 1分インターバル ) クイックマッスル9ミニッツ 伊藤忠夫さん(1位682回),山田勝己さん(2位644回),秋山和彦さん(3位597回) |
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順位 | 氏名 | 回数 | 補足 | |||
1 | 伊藤忠夫 さん | 682 | ||||
2 | 山田勝己 さん | 644 | ||||
3 | 秋山和彦 さん | 597 | ||||
4 | 垣花兼一 さん | 549 | ||||
5 | 森 裕之 さん | 513 | ||||
6 | 加藤伸幸さん | 418 | ||||
7 | 二反田豊和 さん | 413 | ||||
8 | 増戸聡司 さん | 397 | ||||
9 | 伊藤忠義 さん | 293 | ||||
10 | 海老昭之 さん | 289 | ||||
11 | ケインコスギ さん | 274 | ||||
※このランキング表は,増戸聡司さん(サバイバル腕立て伏せ全国2位) のご協力を賜り作成致しました。 ありがとうございます。 |
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■三色筋肉 2000年10月放送 ( 腹筋 → 背筋 → 腕立て の流れで各1分間ずつ。 インターバルはなし。) 三色筋肉 伊藤忠夫さん(1位233回),賀出泰崇さん(2位221回),山田勝己さん(3位214回) |
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順位 | 氏名 | 回数 | 腹筋 | 背筋 | 腕立 | |
1 | 伊藤忠夫 さん | 233 | 49 | 52 | 132 | |
2 | 賀出泰崇 さん | 221 | 52 | 64 | 105 | |
3 | 山田勝己 さん | 214 | 46 | 64 | 104 | |
4 | 高田聖一 さん | 212 | ||||
5 | 秋山和彦 さん | 200 | 46 | 46 | 108 | |
6 | 佐々木豊 さん | 192 | ||||
7 | 公文 暁 (管理人) | 189 | 49 | 43 | 97 |