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あ- | 愛する | 人を愛する事は、何よりも相手の人生を大切にする事 | ||
-- | 高1の時だった。 担任の国語の先生(若いラグビー部の顧問)は 午後のロングホームルームでみんなに作文を書かせた。 テーマは「愛」について。 先生は、ペンが進まない私を見かねてか 「とりあえず鉛筆を動かせ、何か書いてみろ!」 と少々荒い口調で急かしたけれど 文章が苦手で、何よりも愛についてなど考えた事のなかった私には とうとうチャイムが鳴り終わるまで、何も書く事ができなかった。 そんな当時、私は自分の教室が大好きだった。 ありがちなパターンだが、とてもお熱になってた子がいたからだ。 廊下ですれ違うだけで、それはドキドキした! 寝ても覚めてもその子の事で頭が一杯。 何というかこう、胸が苦しくて大変だった。 当然告白したけれど、実は3度もフラれてしまった・苦笑。 「こんなに愛しているのに…」 殆ど病気だった…今となればそれもいい想い出である。 その後、彼女と付き合い、少しずつ年をとるに連れ 大きな勘違いに気づき始めた。 私はただ 彼女を愛していると錯覚する気持ちに酔っていただけで、自分自身を愛していたのだ。 それを受け止めるのにはとても苦労した。 「相手に対して自分の理想を押しつける」 それは、相手の人生を支配しようとする事以外の何物でもないんだなって事を、悟ったのだ。 今思い起こせば、それが「愛する」ことの意味を真剣に考えるきっかけになったと思う。 近年、その女性は、走り出した無能な私の影で、癌を患い、他界してしまった。 私は、彼女に愛しているとささやいてきたが、実は自分自身を愛していた。 彼女は、私を愛しているとは言わなかったが、いつも互いの人生を尊重していた。 私なりに頑張らなければならなかった時… 教育実習、大学院の入学・卒業試験、プロテスト、三色、現在の仕事…etc いつも私は背中を押して貰ってきた。 なのに、癌で苦しんでいた事は一切伝えてくれなかった。 結局、最期まで感謝する事ができなかった。 甘えたままで終わってしまった…。 その昔、LOVEは「大切にする」と訳されたのだそうだ。 名詞ではなく、動詞のみである。 とかく人は、愛する事の困難にぶつかると 「昔は愛があったから…」 「今は愛が冷めたから…」 と言って名詞にして逃げてしまう(自分を愛してしまう)。 母親が、赤ちゃんにお乳をあげる時 見返りなどは期待しない。 無償で愛しているからだ。 しかし、その子の幸せを願う権利が頂ける。 好きになって、胸を焦がすことは辛いが 人を愛する、大切にする事は、パワーのいることなんだと痛感した。 自分の想いより相手の人生を尊重する事が大切だから… けれど、それが愛している事の証、人の生きる真理なんだなって、 何となく理解できた頃から、いつしか哀しみから解放された気がした。 色々とご免なさい… そして本当に、ありがとう。 |
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2003年 3月 | ||||
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忙しい | 心を亡くす。 “忙しい” と “忘れる” | |||
“忙しい”という字は心を亡くすと書く。 勤務校の司書のM.K先生から貸して頂いた本に書いてあった。 それを読んで、数ヶ月考えてみたのだが 人の恩や、情や、優しさを “忘れる”という字も、心を亡くすと書く事に気づいた。 心を亡くしたら、人間が人間ではなくなってしまう… なるほど! だから私は、その本に習い「スケジュールが過密で…」等と言う事はあるが 「忙しい」という言葉を使わないように心がけている。 周囲の支えあっての、私だと思うからだ。 「忘れちゃった☆」はうっかり使ってしまうこともあるが・笑。 |
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2000年 10月 | ||||
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器 | 自分の器 | |||
こんな文章を読んだ事がある… ある学者が、中国のある老僧のもとへ教えを請いに訪れた。 ところがその学者は、自分の考えや知識、理論をひけらかす事に夢中で 老僧が言葉を挟む余地を一切与えなかった。 すると老僧は、静かに立ち上がり 話に夢中で、殆ど手が付けられていなかった学者の湯飲みに お茶を注ぎ始めた。 当然、お茶は溢れだし、テーブルの上は水浸しになった。 慌てて、学者は言った。 「どうなされました。もう充分ですよ!」…と。 それに対し老僧はこう言った。 「あなたは自分の事を放出するばかりで、私の話など聞こうともしない。」 続けて 「一度あなたの心を空っぽにできずに、どうして私の話を聞く事ができよう?」 …と。 ここで終わっていた。 心を無にして、他者の意見を受け入れるゆとりを持つ事の重要性を説いた例えである。 これは、「たおやかに生きる(2000年10月)」にも繋がってくる…。 以来、私は、「自分の器」という物について何年も、とことん考えてきた…。 そして現時点では、前述の内容とは少しニュアンスが違うが、この様にも捉えている。 過去、私は精神的にどん底 「0(ゼロ)」 に近い状態に陥った事がある。 しかし、私の器が一度空っぽになった事で その後は、普段当たり前の様に感じていた ほんのささやかな幸せが、それが例え1滴の水であっても +(プラス)に感じ、この上なくありがたみを感じられる様になった。 そして、もうこれ以上失う物などないんだ…と言う、安心感まで生まれた。 一人になったことを、独りになったとも思わなくなった。 更に、 自分の器が、100までしか許容できない事を思い知らされたおかげで 贅沢が言えなくなった。 これは本当に幸せな事である。 幸せに対する欲望は求めれば求める程、大きく膨らんでゆくが 100を越えれば、こぼれていくだけだ…許容できない幸せは逃げてゆく。 自分の器が常に満たされており、自分のどん底を知る事ができなければ 例え99になっただけでも、-(マイナス)を感じてしまい恐怖心を抱かざるを得なくなる。 充分に幸せな立場にあるにも関わらずに…。 だから私は自分の器のどん底(ゼロ)を常に忘れないように生きてゆきたい。 そして、常に他者を受け入れられる余裕を持ってみたい。 …そう思うようになった。 理想論ですが・苦笑。 |
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2002年 9月 | ||||
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運命 | 運命に対する、態度を選ぶ事はできる | |||
男 「ねぇ、運命って信じる??」 女 「・・・ そっちは??」 男 「俺は... 信じる。」 女 「私も!」 ・・・という 若い男女の CM がありましたよね。 運命って... あると思いますよ。 時には... どんなに 血のにじむ様な努力をしたって 打開できない、そして抜け出す事ができない “ 不 ” が付く 運命も。。 けれど... 自分自身の、生まれ持った 運命を選ぶ事はできませんが 運命に対する、態度を選ぶ事はできるはずです。 “ 最後まで、前向きに生きるために。” そんな気がします。。 ![]() |
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2008年 2月 | ||||
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