関東常陸の国のトラック野郎

 仕事用の愛車で自己表現された方達

 1986年冬、中学時代のある日、部活帰りに街灯などは殆どなく真っ暗で静寂な田舎道を歩いていると、遠方から地響きを立てた強烈な音が近づいてきました。 振り向けば、それはきらびやかな電飾で見事にデコレーションされた2t車のトラックでした。 小型車ではありましたが、映画に登場するような4t以上の大型クラスと比較しても、決して引けをとらない「迫力」に圧倒された事をよく覚えています。 行燈には「黒翔会」という文字が、ピンクの桜の花に包まれ光り輝いていました。 暫くたったある日、やはり下校時に再び同じ衝撃が走りました。 現れたのはまた2t車でした…が、以前とは全く個性が違った車でした。 しかし行燈にはやはり黒翔会」という共通の文字が灯されていました…。 そんな出来事が度々繰り返され、直ぐにそれらが私の父が現在も勤務する某高校の卒業生の方達が作ったアートトラック倶楽部の車である事を知りました。 それが黒翔会」との最初の出会いです。
 心を奪われた私は、当時出版されていたトラック雑誌、カミオン(芸文社、現在も刊行中)、トラックボーイ(日本文芸社、つい先日廃刊)等を早速読んでみることにしました。 残念ながら新たに「黒翔会」の情報を得ることはできませんでしたが、何と
私の出身県は日本一倶楽部数が多いアートトラックのめっか」である事を知りました。 更に、日本で初めに「エアブラシ」を用いてトラック(他バニングカーなど)にペイントを施したマッドペインターズや、独特のペイント文字があまりにも有名で、遙か九州、沖縄など全国からの注文が絶えず、予約は2年先までびっしり埋まっている程の人気を、20年以上誇り続けているアート会の巨匠、鈴木勇さんの鈴木工芸など、優れたペイント屋さんにも恵まれた環境である事を知りました。
 当時私が黒翔会」のトラックに惹かれ続けた理由は、単純に飾りが派手、ペイントが綺麗だったからではありません。 その対象が、オーナー自身が自己表現する場として飾りをハンドメイドするなどの創意工夫を凝らした「仕事を共にする愛車」であったからだと思います。 私は、アート熱が高い出身県において、マイペースで楽しく活動するご近所のアート倶楽部を、気さくで優しいオーナーの方々の独特な表現を、是非、全国のアートファンの皆様にも知って頂きたいと思うあまり、幾度も専門誌に写真、文章を投稿し、特派員などのページで紹介させて頂いて参りました。
 本ページは、2t車アートに見る一時代の歴史を、黒翔会」の皆様と共に歩ませて頂いた4年間の想い出に感謝の気持ちを込め、誠に僭越ながらご紹介させて頂こうと思います。


※このページは、当時黒翔会の副会長を務めておられた、大川一郎を始め
数多くのトラッカーの皆様のご協力を頂いて作成しております。

なお、
画像・写真・文章などの無断複製・転載を禁じます






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島田恵梨佳
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